唐突な高二病について
酒の力は怖い。
アルコールというのは人を麻痺させるのだ。
だが、歳を重ねるうちにアルコールが無ければ、まともに人の顔も見れず楽しさを感じることも出来ないような残念な頭になってしまった。
悪いのはアルコールのように書いているが本当に悪いのは何かに依存する私自身である。
そしてタイトルに唐突な帰結。
人間を辞めたい。
私は人間を辞めたいんダァァァ!!
そもそも高二病っていうものを正確には理解していないが、
厨二病は「くっ俺の左手が…!」的な物言いだとしたら高二病は「消えたい…」などと、承認欲求丸出しの発言をすることだと勝手な理解をしている。
正しいかどうかは知らない…。
何故人に生まれてしまったのか…。
辛い。
人に生まれたのが辛いのではない。
人に生まれ私が私という人格をもったことが辛い。
そして、そのまま私はどうしようもなく人間であり、どうしようもなく人間が嫌いで、どうしようもなく生きるしかないことが何よりも辛いのだ。
人で良かった、と思うことはある。
それが無ければ私は今きっと立っていない。
ぼろぼろでも汚くても立ってはいる。だから私は未だ生きているし人でいられる。
しかし「立っている」のが辛いのだ。
私は人が人であることを美しいと思う。
時に人に心動かされ、涙し、笑い、上を向くからだ。
涙し、笑い、上を向くとき、その多くが人に与えられたものだからだ。
それを与えられる人達に支えられて私は生きている。
映画、本、音楽、いずれもそうだ。
人が創り人が感じ人が動くのだ。
なにを当たり前の事を、と思うだろうけど、その当たり前が人の素晴らしさなのだと思う。
なにが辛いって私自身が供給する側ではないということだ。
私はただ与えられたものを消耗しか出来ないのだ。与えられることしか出来ない人間であり、それを昇華させられない。
それが堪らなく嫌なのだ。
斜に構えているので、基本的に世界や他人、もちろん自分はクソだとおもっているが、しかし事実、素晴らしいものは世界にあり、綺麗なものは確かにあり、きっと愛はあるのだろう。
それを感じるたびに私はどうしようもなく立っていなくてはいけない、と思う。
私がここまで立っていたのは、誰かから何かを貰ったからだ。だからここで挫けてはいけないのだ。休憩はしてもいいが折れてはいけないのだ。人だから人でいないといけないのだ。他人が与えてくれたものをゴミと投げつけてはいけないのだ。
私は素晴らしいものや綺麗なものが世界にはあると人には愛があるのだと信じている。
信じたくはないが信じられる人生を歩んではいないが、きっとあるのだ。
感じていないだけで、その世界に足を踏み入れていないだけで、確実にあるのだろう。
だからそれに触れるたびに私は、それを昇華させたいのだ。
だけどそれが出来ない。
どうしようもなく虚しくなる。
立っていることが辛い。
愛を感じ、その愛を広めたい。
夢だ。
酒の飲み過ぎで行きつけのバーにて、
「人を嫌いにはなりたくない。皆を好きでいたい。だけど私はクズだし皆もクズだから皆が嫌いだ。理解したいと思うから頑張って会話をするが、やはり理解ができず嫌いで皆を好きでいられない。こんな矛盾を抱える自分がどうしても嫌だ!生きたくない!!」
と喚き散らした私はどうしようもなく、クズでバカな高二病なのです。
あーお酒は怖い。
そして支離滅裂って怖い。